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熊本と国技相撲の史実の情報発信のブログです。現在の横綱制度って熊本城の本丸御殿の九曜【くよう】の間で生まれました!記録が今でも残ってます。(旧司邸に所蔵分) 私たちNPO行司の日々の活動や熊本の相撲文化(行司)と熊本城の歴史を、史実に基ずき正確にお伝えしていきます。



 



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2008年03月19日

【古の風を追う】





※写真は、肥後相撲館の写真です。大正2年に現在の辛島公園に吉田司家が作った郷土国技館です。


 【現在の辛島公園の場所です】

  

古の風を追う
                     (いにしえのかぜをおう)


 吉田司家由来記  

  


吉田司家は、文治二年(1186年)後鳥羽天皇より、相撲の故実旧例に精通したとして越前から召し出され 

 「相撲の古き伝統を守り伝えよ」 

という使命を「追風」という号に託し賜り、相撲司を命じられた吉田豊後守家次を初代とし、以来八百年の間、代々国技相撲道を守り今日まで歩んで参りました。 


万治元年(1658年)肥後藩主 細川綱利公に仕え、熊本に移り、相撲屋敷を定め、徳川幕府より諸々の列式相伝及び免許を司る本朝相撲司を許されましたが、吉田司家が相撲界に於いて最も重きをなすに至ったのは、 

十一代将軍家斎公の江戸城吹上御殿での寛政の上覧相撲にて、十九代追風(吉田 善左衛門)横綱制度を考案し、谷風・小野川に横綱を免許し、土俵入りの型や、土俵祭の形式を定めた事で、以後国技相撲道の普及発展に寄与して参りました。 そしてまた、これからも日本相撲界の発展に寄与して参ります。

  


以上 吉田司家宝物館パンフより参照 


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「私の個人的な所見ですが、私と同じ世代もしくは、若い世代は相撲の歴史、特に熊本と相撲の関わりに関して言えば、
 全くと言っていいほど見識がなく、おそらく大部分の人が幼いころ上熊本体育館に、相撲巡業が毎年のように来ていたという記憶ぐらいで、ほとんど知らないというのが現状ではないでしょうか?
子供のころ、おじいさんや、お父さんに連れられて巡業を見に行った記憶がある人も多いのではないでしょうか?

少なくとも、熊本には相撲の歴史に関する、すばらしい伝統・文化の事実があります。
微力ではありますが、私たちのNPO活動を通して少しでも熊本の発展に寄与出来ればと想っています。
可能ならば、熊本巡業でまた熊本を盛り上げたい!
そう想う・・・・・・今日この頃です。」

  

2008年03月03日

「吉田司家」の宗家吉田長孝氏のこと





最近、NPOの仕事がら、よくお会いする25代目追風(代々の当主名)吉田長孝氏から、お聞きした話です。

吉田司家日本相撲協会(現 北の湖理事長)が、現在どういう状態に、なっているのか率直に25世吉田長孝氏に、お尋ねしました。

昭和61年7月、当時、名古屋場所の準備をされていた春日野清隆日本相撲協会理事長に司家の事情を話し、しばらく「中断」の申し入れをしたそうである。(こちらから距離を置く)

日本相撲協会はこのことを了承し、当時の相撲司会名誉会長熊本県知事細川護煕氏宛てに公式の文書が送られてきたそうです。

「横綱推挙に当たっての吉田司家の取り扱いについて」

 ・吉田司家の借財については、関与しないこと。
 ・横綱推挙にあたっては、理事長より推挙状および横綱を授与することとした。
 ・吉田司家の参列および故契書の授与は内部事情が整理されるまで
  「中断」することとした。
 ・相撲の伝統としきたりを尊重し、吉田司家の状況が改善されたと
  認められた時点で取り扱いを判断する。


と言う趣旨です。

吉田司家は、国技相撲道を守り伝えて800年、相撲の歴史と共に歩んでこられました。
農耕民族である日本人が、五穀豊穣を神に祈った年占いの神事に起源をもつ相撲は、朝廷の公例行事「三度節」のひとつである相撲節会(すもうせちえ)、武家相撲、そして広く一般庶民に親しまれるようになった勧進相撲を経て、現在の大相撲や、全国各地で催される奉納相撲、アマチュア相撲に、その伝統を受け継がれております。

吉田司家の資料によると、文治2年「1186年」それまで「中断」されていた相撲節会復興に祭し相撲の故実旧例に詳しい吉田家始祖豊後守家次を後鳥羽天皇より召され相撲節会の典儀を故実旧例に従い無事勤め、「国技の古き伝統を守り伝えよ」という訓を「追風」の号に託し獅子王の団扇とともに賜り、相撲の司として今日まで国技相撲道の普及、発展に尽力されてこられました。

相撲に関する膨大な資料は奥義として保存し、これからも代々受け継がれていかれることでしょう。
伝統と共に歩んでおられる25世吉田追風にその宿命と厳しさ、しかし相撲道に関する情熱と知識は奥深いものがあります。

http://www.lx8.jp/blog/  






  

2008年03月03日

国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その弐】






寛政三年家斎上覧相撲之図(江戸城吹上御殿【横綱が初めて誕生した江戸城での上覧相撲を描いたもので、東方大関小野川喜三郎、関脇陣幕、小結九紋龍、西方大関谷風梶之助、関脇雷電、小結柏戸以下相撲者総数百六名、「待ッタ」なしの一番勝負で、結び三役弓取りまで。  行司は十九代吉田追風、脇行司木村庄之助と 「公家相撲上覧之式」 に記されている。】


国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その弐】



その壱からの続きです。
いよいよ、十五代 追風の時代になると、朝廷が衰微し相撲節会も中断となったので、相撲愛好家として知られる肥後藩主 細川綱利公に仕え(前記事参照)、万治元年(1658年)熊本に移り、細川家好遇のもとで相撲屋敷を定めた。


徳川幕府より国技相撲道の諸々の礼式の相伝免許を司どる許可を得て武家相撲及び将軍上覧相撲式故実作法を定着させました。


このように吉田司家も国技相撲道の変遷とともに朝廷の相撲司から、武家の本朝相撲司御行司へとその役目も移り変わりますが、相撲界に於て最も重きをなすに至ったのは


十九代追風が将軍家斎公江戸城吹上御殿での上覧相撲にて横綱制度を考案、谷風・小野川に横綱を免許し、


現在も行われている土俵祭(本場所の前日)の式法や、横綱の土俵入りの型を定めた事で、以降横綱に『綱』を授与し、故実門人(歴代の横綱及び三役格以上の立行司の免許を授与していました。


また明治維新(西洋思想影響)の旧物破壊(日本古来の文化否定)の大怒涛のなかで裸体でとる相撲は未開野蛮人の行為で国辱だと相撲廃止論が起こったとき相撲宗家としての地位と矜持をもって国技相撲道の護持のため獅子奮迅の活躍をみせた。


二十三代追風は、東京・大阪両相撲会所の対立に於いても『一味清風』の家訓を基に一本化を図り日本相撲協会の設立、国技相撲の発展に多大な貢献をして参りました。




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2008年02月17日

国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その壱】




     吉田家始祖豊後家次が、後鳥羽天皇より賜った獅子王の団扇



国技相撲道を守り伝えて800年

農耕民族である日本人が、五穀豊穣を神に祈った年占いの神事に起源を持つ相撲は、朝廷の公例行事「三度節」のひとつである相撲節会武家相撲、そして広く一般庶民に親しまれるようになった勧進相撲を経て、現在の大相撲や全国各地で催される奉納相撲、アマチュア相撲に、その伝統は受け継がれております。

 

後鳥羽天皇の御代、文治二年(1186年)それまで中断されていた相撲節会復興に際し、相撲故実旧例に詳しい吉田家始祖豊後家次は、越前の国より後鳥羽天皇に召され相撲節会の典儀を故実旧例に従い無事勤め、 「国技の古き伝統を守り伝えよ」という訓を「追風」の号に託し獅子王団扇とともに賜り、相撲の司として以来800年の間、国技相撲道の普及発展に尽力して参りました。

 

弘治年間(1555年~)当時角力と称し、唯一の協議として人気のあった相撲は、単に力くらべとなり相撲本来の礼儀礼節を尊び古例旧式にならう相撲道から大きく離脱の様相に、十三代追風は、土俵上の登場礼式(力士が土俵にあがり行う動作及び型)を定め、神儀であった相撲を国技の「  」として確立。時の正親天皇より永禄元年(1558年)相撲全般をとり仕切る行司官を、命じられ、「マカロオ」の団扇勅賜。元亀年中(1570年~1572年)関白二条晴良公より「一味清風」の四文字が記された団扇を授与された追風は、以降国技相撲道に二派はなく、常に一味(ひとつの派のみ)の作法でもって相撲道を守ることを相撲界はもとより、吉田司家の家訓として代々伝授してきた。

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私の個人的所感ですが・・・・・・

私は、地元の小学校のPTAの役員をしているのですが、挨拶の出来る校区は、比較的に子供たちの非行もすくないような気がします。

礼節・・・・・・これは、人の社会にとって、一番大切なことでは無いでしょうか・・・

私の大好きな書の中に・・・・・このような一説があります。

 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり。又習学すべき物三つあり、所謂儒、外、内これなり。
(すべての民衆に尊敬すべきものが、三つあり、主、師、親の三徳である。身につけねばならぬ物が三つあり、儒教、仏教以外、仏教の教えもこれにおさまる。とあります・・・・・

主、師、親の三徳・・・・・

主の徳、師の徳、親の徳、現在の日本に、一番掛けた部分ではないでしょうか?

親が、自分の子供の教育には、命がけで責任を持つこと、また気がついた者が見て見ぬぬふりを、せねばもっと良い社会になるのではないでしょうか・・・・・・日本本来の礼儀礼節、一番大切な教育ではないでしょうか?・・・100年後の日本のために・・・・・・。











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