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2008年04月10日
『全国行司名一覧』

江戸宝暦前後の全国行司名一覧
江戸時代 徳川幕府が制定された後、
京都から相撲取の集団が江戸に集結するようになった。
そしておのずと、全国各地に行司が出現するに至った。
宝暦の頃には次のような行司の家の記録があります。
京都から相撲取の集団が江戸に集結するようになった。
そしておのずと、全国各地に行司が出現するに至った。
宝暦の頃には次のような行司の家の記録があります。
九州 吉田追風 新葉音右衛門 明石 木村十六之助
新葉相馬 西川宇右衛門
尺子藤太夫 尺子一学 播州 稲葉九郎兵衛
森 久太夫
木村藤跡
京都 木村三之丞 小柳佐右衛門
吉岡勘弥 木村茂太夫
尾上喜兵衛 吉岡五郎吉 伏見 川島林右衛門
木 村茂末 木村丸平
尾州 木村歌之助
大阪 吉川兵庫 岩井団右衛門 木村徳三郎
青柳吉平 吉川次左衛門
岩井団之助 木村辰之助 丹波 木村庄太夫
木村正藤 岩井嘉七
吉川八之助 木村伝次郎 越前 木村六ツ六
漣定右衛門
紀州 吉岡戸右衛門
江戸 木村喜左衛門 木村喜平次
木村庄之助 木村喜兵衛
木村萬九郎 木村中右衛門
木村但馬
河州 尾上十太朗 木村庄太郎
風松瀬平 木村四郎兵衛
美濃 笠松 久六
これら全国の行司は、寛政年間の刻 19世 吉田追風によってすべて統制されました。
現在では、木村・式守の二家のみに、代々受け継がれています。
現在では、木村・式守の二家のみに、代々受け継がれています。
【許可無く記事の転載は、しないでください。NPO行司 塘居 輝也】
2008年03月31日
【相撲行司の名称由来】

【行 司の名称由来】
『 行司 』とは・・・・・・
相撲道宗家吉田追風を、『本朝相撲の司御行事』 という名称が、
司御行事とい呼称から転化し、行司(事) としたものである。
寛政元年の谷風、小野川の免許状を授与した(前期で記されている)通り、
相撲節会時代の審判役は『 立合 』である。
これをひきいるのが六位の行事と言いました。
吉田追風は六位の将監で相撲長であり、又行事として立合を率いたのである。
鎌倉幕府の時、野相撲がよく行われているが立合役を、『 見証 』
(けんしょう) といい、行事は、『 相撲奉公 』となった。
以来『見証』が今の大相撲の行司、
相撲奉公が検査役となった。
相撲節時代 ―――― 立合、行事
武人相撲時代 ―――― 見証、相撲奉公
勧進相撲時代 ―――― 行司、検査役
吉田追風家が故実門弟たる行司の配置網は、 『 吉田家相撲伝秘書 』 に、
関八州支配 【式守五太夫】
関八州支配 【木村庄之助】
九州九ヶ国支配 【一式左右馬】
五畿内五ヶ国支配 【岩井左右馬】
大阪 【尺子 一学】
肥後 【服部式右衛門】
肥後 【服部式兵太夫】
肥後 【服部式源次郎】
長崎 【注江式 九郎】
長崎 【綿山 勝治】
と記してあります。
記録は安永年間のもので吉田司家が各地に行司を配置した記録書です。
司家所蔵の吉田家相撲伝秘書を、参照して記述しました。
記事の内容の無断転載、及び営利目的での使用を禁止致します。
NPO法人 塘居 輝也
2008年03月25日
【 大相撲の行司 】

【 行 司 】
今回から行司のことについて、おって記事を追加して行こうと思っています。
伊藤勝治さん(大相撲の立行司、34代木村庄之助) ←記事へリンク
横綱同士による千秋楽相星決戦の熱気を背に、慣れ親しんだ軍配に別れを告げた。来月、行司の定年である65歳となるため、今場所が仕事納め。座布団の舞う大阪府立体育会館で朝青龍に勝ち名乗りをあげ、最後の大役を果たすと、「両横綱にこんな舞台を用意してもらって本当に幸運です」と感謝した。
東京都墨田区の両国中学に通いながら、初めて土俵に上がったのは昭和31年夏場所。「当時は朝の6時に取組が始まり、暗い中、両国から蔵前国技館まで走ったのを、きのうのことのように覚えている」。以後、52年間の行司人生は「あっという間だった」と振り返る。
初土俵は「頭が真っ白になって東も西も正面も分からなくなった」という。新弟子時代は、立行司の庄之助(当時は22代目)といえば雲の上の存在で、話しかけられても「ハイ」と返事するのが精いっぱいだった。
昨年夏場所にその庄之助の名跡を継いだ。「まさか自分がなるとは思わなかった」。裁くのは常に結びの一番。心を砕いたのは立ち合いだった。「手をつかなかったり、じらしたりといろいろあったが、公平に立たせることが身上だった」という。
相撲に取り組む姿勢を一変させる一番がある。お客さんもまばらだった幕下時代。4度の取り直しを経て決着し、倒れ込む両力士に「気が済んだだろう」と声を掛けると、返答は「納得できません」。
『その時、勝負にかける力士の心をかいま見た。』
庄之助を襲名してからは、日付と対戦力士の部分を空白にした進退伺を懐に忍ばせてきた。「差し違えたら出す」と悲壮な決意を込めた進退伺は、もはや無用。「これからはゆっくり相撲を見ることにします」。重圧から解放され、37代式守伊之助に最高位を譲る。(奥山次郎)
昭和18年、東京都江戸川区生まれ。両国中学在学中の31年夏場所に初土俵を踏む。55年に十両格、平成4年に幕内格、17年に三役格に昇進した。18年に式守伊之助を襲名し、立行司となる。
三役格4場所での立行司昇進は史上最短。昨年夏場所に木村庄之助となった。現在64歳。
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