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2008年03月10日

【大正時代之郷土力士】






【 大  正  時  代 】



  阿蘇ヶ嶽虎吉



土 俵 歴


明治23年2月17日、飽田郡寺迫村万楽寺(現熊本市北部町万楽寺)に生れる。本名は田尻寅吉氏

明治41年5月、八角部屋に入門し、錦山と名乗って初土俵を踏みました。得意の四つ、食い下がりの秘法をもってめきめき頭角を現し、明治42年1月には序ノ口、同年6月には序二段に進みます。

このとき明(あきらか)と改める。明治43年6月場所は5戦全勝で序二段優勝を飾りました。明治44年1月には3段目に進み、同年5月場所は4勝1預かりで3段目優勝を飾った。翌年1月には幕下、大正4年1月には西十両12枚目に進んだ。
 
大正5年1月場所は東十両5枚目で5勝1敗の好成績をあげ、翌5月には西前頭15枚目に
入幕した。27才の時でした。

入幕の場所は病気で全休のため翌大正6年1月場所は西十両3枚目に下がったが、5勝2敗1預かり2休の成績をあげ、翌6年5月には東前頭14枚目に再入幕した。

大正8年1月には阿蘇ヶ嶽と改め、翌場所は6勝3敗1引き分け、9年1月場所は西前頭4枚目で7勝2敗1引き分け、翌5月場所は西前頭1枚目(筆頭)で6勝2敗1引き分け1預かりで旗手となり、3場所連続して6勝以上の好成績をあげ、大正10年1月には東小結に昇進し、3役入りを果たした。

この年の6月には、横綱大錦卯一郎、栃木山一行のハワイ、アメリカ本土の海外巡業に参加し、国技大相撲の紹介につとめました

大正11年5月場所は7勝1敗2引き分けの星をあげ、同場所の優勝は大錦で8勝1敗1引き分け、2位は栃木山と阿蘇ヶ嶽で、ともに7勝1敗、この場所は矢筈山、阿久津川等の強豪を破り、6番勝ち越しての準優勝で、再び旗手の栄誉をになった。

次の12年1月場所は、2日目に西大関源氏山と対戦、好取組であった。立ち上がり阿蘇ヶ嶽が突っ張って出るハナを源氏山が叩き込めば阿蘇ヶ嶽は付け入って源氏山の懐に入り、鋭く突っ張って突き出し、源氏山を破った。

源氏山は場所後に横綱に昇進したが、阿蘇ヶ嶽に敗れたのが唯一の黒星であった。ついでながら、この源氏山は鹿児島県出身で、のち西ノ海と改め、30人目の横綱3代目西ノ海嘉治郎である。13年5月場所を最後に、年寄にはならずに廃業した。

 幕内の在位は9年、16場所で、最高位は小結

1㍍70、97㌔の小兵ながら小結まで昇進し、光栄ある旗手を2度もつとめた。地方で取る方で、横綱の大錦も阿蘇ヶ嶽には勝手こそいるが一番怖いといって、いつも自信がなく、出た所勝負で星にしているようなことを話していたくらいである




 昭和十七年九月二十一日没、五十三歳。

史    跡

 墓所は熊本市北部町改寄にある。

逸    話

当時、太刀山(22代の横綱)の鉄砲といえば天下無敵の評があった。あるとき、その太刀山が土俵の真ん中に仁王立ちになり「誰でも、何処から也とも来い」というと、右、左、前から蝗(いなご)のように飛びついてきたが、太刀山は片っ端から投げ飛ばした。阿蘇ヶ嶽は、立ち向かったと思うと素早く太刀山の足を押っとり剛力無双の太刀山をひっくり返してしまった。流石(さすが)の無敵王太刀山もこの時ばかりは唖然として一言もなかったという。 


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この記事へのコメント
力士にしては小柄なんでしょうか?
だから相手の懐にはいっていけるのかな~などと、
相撲を見るときの目線がかわりそうです。
Posted by ごはんごはん at 2008年03月10日 20:41
ご訪問ありがとうございます(^-^)♪!
オイラ達の知らない数多くの力士がいたのですね
歴史を感じますね・・・!
Posted by よっちゃん at 2008年03月10日 21:59
当時の食料事情もあるとおもいますが・・・・・

小さい力士の方が、小回りがききますよね。

小さければ小さいほど、大きな相手を倒そうと思うとき、

技の技術が必要とされます。

おそらく普通以上の体格だったはずです。
Posted by 行司 at 2008年03月10日 21:59
なるほど~・・・倒す為には?

足・足か~、足取り戦法だったので、

そりゃ~、ビックリするわい。あは!
Posted by rakuten23 at 2008年03月18日 10:56