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2008年04月05日
【熊本県近代文化功労者】23世 追風氏 その五

【熊本県近代文化功労者】23世 追風氏 その五
累卵の危きを救う・・・・・注)1 累卵
さて明治維新が進むにつれて、すべての旧日本文化の諸事改革が行われました。
旧日本武家文化(例えば、ちょんまげや、帯刀)は、すべて破壊される風潮になり、
相撲もまた例外ではなく、衆人(観客)の前で裸体で行う下劣野蛮な競技で、
国辱だという論がおこり、それがはげしい勢いで廟堂にまで火の手があがるありさまで、
もはや日本国技相撲の古例旧式をかえりみるものはなく、
あるものは土角力ばかりといったありさまになって行きました。
23世 吉田司家 追風(善門)はこの風潮を見るに偲びなく、ひとり心を痛めていました。
相撲こそわが国固有の神聖な国技であると信じて疑わぬ彼は、
そしてとても、この風潮を嘆いてじっとして居れなかったのです。
彼は、だた相撲道護持の一念から身をおこして明治十四年七月、
東京にのりこんで、帝都相撲界の動向を観察し、深く考えるところがあった。
翌年明治十五年四月、再び上京して東京相撲年寄、相撲行司らと会し、
これより以後は必ず故例旧式を厳格に守るべきことを契約させ、
また自ら、警視総監樺山資紀や元老院議官海江田信義らと会って協力を求めた。
あとになって当時のことを善門は次のように述懐している・・・・・・・・。
さて明治維新が進むにつれて、すべての旧日本文化の諸事改革が行われました。
旧日本武家文化(例えば、ちょんまげや、帯刀)は、すべて破壊される風潮になり、
相撲もまた例外ではなく、衆人(観客)の前で裸体で行う下劣野蛮な競技で、
国辱だという論がおこり、それがはげしい勢いで廟堂にまで火の手があがるありさまで、
もはや日本国技相撲の古例旧式をかえりみるものはなく、
あるものは土角力ばかりといったありさまになって行きました。
23世 吉田司家 追風(善門)はこの風潮を見るに偲びなく、ひとり心を痛めていました。
相撲こそわが国固有の神聖な国技であると信じて疑わぬ彼は、
そしてとても、この風潮を嘆いてじっとして居れなかったのです。
彼は、だた相撲道護持の一念から身をおこして明治十四年七月、
東京にのりこんで、帝都相撲界の動向を観察し、深く考えるところがあった。
翌年明治十五年四月、再び上京して東京相撲年寄、相撲行司らと会し、
これより以後は必ず故例旧式を厳格に守るべきことを契約させ、
また自ら、警視総監樺山資紀や元老院議官海江田信義らと会って協力を求めた。
あとになって当時のことを善門は次のように述懐している・・・・・・・・。
その六につづく・・・・・
注)1 累卵 (卵を積み重ねること。不安定で危険な状態のたとえ)
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