熊本城と相撲(その2) 司家肥後藩へ
【写真は、23世 吉田追風が横綱、梅ヶ谷と常陸山に立ち合いの
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)を伝授している所です。】
【司家肥後藩へ】
寛文元年四月二十八日(西暦1661年) 吉田司家 第15世 追風は、
肥後藩主 第三代 細川綱利(つなとし)公に、武家奉公の為、
熊本に従った(入藩した)。そして坪井(現在の熊本北署辺り)に、藩主から屋敷を賜り厚遇された。
綱利公は、熊本の高田原(後の相撲町)に、相撲屋敷を定め毎日、
地取相撲の稽古を命ぜられたのであった。(現在の下通り・駕町界隈)
そして、肥後の国中に募って強力なる者、数十名をかかえ、相撲組を作られた。
この組を、御手木組(おてこぐみ)と言った。
又綱利公自ら、相撲愛好の念の強かった藩主で、腕力が強く庭の石等
を愛用して力石と名ずけては、抱え上げたりしたらしく、綱利の力石と伝えら
れたものが、今も残っている。
このころから肥後歴代藩主は、熊本城二の丸及び、川尻御茶屋、
水前寺御茶屋でも盛んに、御覧相撲(藩主立会)を執り行った。
上の写真は、実際に藩主 細川綱利公が愛用した、
三っの力石です。
旧吉田司家の中に祭ってありました。
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