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Posted by おてもやん at

2010年04月29日

ネプキッズリーグ特番 5月3日夜7時から

先日、フジテレビからのオファーで、


ネプキッズリーグ番組の行司として

大関 把瑠都 凱斗(カイト)関


 対 ちびっ子相撲代表5人の行司を執り行ってきました。




諸事情が重なり、


ほとんど日帰りの強行スケジュール。所要時間27時間。


本番は、大関把瑠都関に、

かなりきついハンデがあったものの、ガチンコ勝負で、

なんとキッズ5人が・・・・(後は放送を御覧下さい!)

5人の中から、未来の横綱が誕生するかも?!



是非スポットコマーシャル(5月3日のスポット動画をクリック)
 ↓↓↓
ネプキッズリーグ特番

http://wwwz.fujitv.co.jp/b_hp/100503nepkids/index.html



把瑠都 凱斗関、大関昇進おめでとうございます!


尾上部屋後援会のホームページ!

尾上部屋後援会のブログ←リンク

尾上親方(元小結浜は、熊本出身です!)

プロフィール

しこ名 元小結濱ノ嶋(はまのしま)

本名 濱洲 圭志

生年月日 昭和45年3月21日生
出身地 熊本県
生涯戦歴 447勝495敗18休
受賞歴 殊勲賞1回



熊本の相撲ファンの方々・・・是非後援会に!




ちなみに、尾上親方は、錦絵に出てくるようなイケメンですよ奥様方。


しかし・・・日の本一素敵な奥様が、いらっしゃいますが・・・・・(残念)








  


Posted by セレスピード熊本 at 22:15【相撲関連ニュース】

2010年04月20日

国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その壱】




     吉田家始祖豊後家次が、後鳥羽天皇より賜った獅子王の団扇



国技相撲道を守り伝えて800年

農耕民族である日本人が、五穀豊穣を神に祈った年占いの神事に起源を持つ相撲は、朝廷の公例行事「三度節」のひとつである相撲節会武家相撲、そして広く一般庶民に親しまれるようになった勧進相撲を経て、現在の大相撲や全国各地で催される奉納相撲、アマチュア相撲に、その伝統は受け継がれております。

 

後鳥羽天皇の御代、文治二年(1186年)それまで中断されていた相撲節会復興に際し、相撲故実旧例に詳しい吉田家始祖豊後家次は、越前の国より後鳥羽天皇に召され相撲節会の典儀を故実旧例に従い無事勤め、 「国技の古き伝統を守り伝えよ」という訓を「追風」の号に託し獅子王団扇とともに賜り、相撲の司として以来800年の間、国技相撲道の普及発展に尽力して参りました。

 

弘治年間(1555年~)当時角力と称し、唯一の協議として人気のあった相撲は、単に力くらべとなり相撲本来の礼儀礼節を尊び古例旧式にならう相撲道から大きく離脱の様相に、十三代追風は、土俵上の登場礼式(力士が土俵にあがり行う動作及び型)を定め、神儀であった相撲を国技の「  」として確立。時の正親天皇より永禄元年(1558年)相撲全般をとり仕切る行司官を、命じられ、「マカロオ」の団扇勅賜。元亀年中(1570年~1572年)関白二条晴良公より「一味清風」の四文字が記された団扇を授与された追風は、以降国技相撲道に二派はなく、常に一味(ひとつの派のみ)の作法でもって相撲道を守ることを相撲界はもとより、吉田司家の家訓として代々伝授してきた。

*************************************

私の個人的所感ですが・・・・・・

私は、地元の小学校のPTAの役員をしているのですが、挨拶の出来る校区は、比較的に子供たちの非行もすくないような気がします。

礼節・・・・・・これは、人の社会にとって、一番大切なことでは無いでしょうか・・・

私の大好きな書の中に・・・・・このような一説があります。

 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり。又習学すべき物三つあり、所謂儒、外、内これなり。
(すべての民衆に尊敬すべきものが、三つあり、主、師、親の三徳である。身につけねばならぬ物が三つあり、儒教、仏教以外、仏教の教えもこれにおさまる。とあります・・・・・

主、師、親の三徳・・・・・

主の徳、師の徳、親の徳、現在の日本に、一番掛けた部分ではないでしょうか?

親が、自分の子供の教育には、命がけで責任を持つこと、また気がついた者が見て見ぬぬふりを、せねばもっと良い社会になるのではないでしょうか・・・・・・日本本来の礼儀礼節、一番大切な教育ではないでしょうか?・・・100年後の日本のために・・・・・・。











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Posted by セレスピード熊本 at 12:36Comments(11)【吉田司家横綱免許】

2010年04月20日

国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その弐】




寛政三年家斎上覧相撲之図(江戸城吹上御殿【横綱が初めて誕生した江戸城での上覧相撲を描いたもので、東方大関小野川喜三郎、関脇陣幕、小結九紋龍、西方大関谷風梶之助、関脇雷電、小結柏戸以下相撲者総数百六名、「待ッタ」なしの一番勝負で、結び三役弓取りまで。  行司は十九代吉田追風、脇行司木村庄之助と 「公家相撲上覧之式」 に記されている。】


国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その弐】



その壱からの続きです。
いよいよ、十五代 追風の時代になると、朝廷が衰微し相撲節会も中断となったので、相撲愛好家として知られる肥後藩主 細川綱利公に仕え(前記事参照)、万治元年(1658年)熊本に移り、細川家好遇のもとで相撲屋敷を定めた。


徳川幕府より国技相撲道の諸々の礼式の相伝免許を司どる許可を得て武家相撲及び将軍上覧相撲式故実作法を定着させました。


このように吉田司家も国技相撲道の変遷とともに朝廷の相撲司から、武家の本朝相撲司御行司へとその役目も移り変わりますが、相撲界に於て最も重きをなすに至ったのは


十九代追風が将軍家斎公江戸城吹上御殿での上覧相撲にて横綱制度を考案、谷風・小野川に横綱を免許し、


現在も行われている土俵祭(本場所の前日)の式法や、横綱の土俵入りの型を定めた事で、以降横綱に『綱』を授与し、故実門人(歴代の横綱及び三役格以上の立行司の免許を授与していました。


また明治維新(西洋思想影響)の旧物破壊(日本古来の文化否定)の大怒涛のなかで裸体でとる相撲は未開野蛮人の行為で国辱だと相撲廃止論が起こったとき相撲宗家としての地位と矜持をもって国技相撲道の護持のため獅子奮迅の活躍をみせた。


二十三代追風は、東京・大阪両相撲会所の対立に於いても『一味清風』の家訓を基に一本化を図り日本相撲協会の設立、国技相撲の発展に多大な貢献をして参りました。




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Posted by セレスピード熊本 at 12:34Comments(18)【吉田司家横綱免許】