吉田家始祖豊後家次が、後鳥羽天皇より賜った獅子王の団扇
国技相撲道を守り伝えて800年
農耕民族である日本人が、五穀豊穣を神に祈った年占いの神事に起源を持つ相撲は、朝廷の公例行事
「三度節」のひとつである
相撲節会、
武家相撲、そして広く一般庶民に親しまれるようになった
勧進相撲を経て、現在の大相撲や全国各地で催される奉納相撲、アマチュア相撲に、その伝統は受け継がれております。
後鳥羽天皇の御代、文治二年(1186年)それまで中断されていた相撲節会復興に際し、相撲故実旧例に詳しい
吉田家始祖豊後家次は、越前の国より
後鳥羽天皇に召され相撲節会の典儀を故実旧例に従い無事勤め、
「国技の古き伝統を守り伝えよ」という訓を「追風」の号に託し
獅子王団扇とともに賜り、
相撲の司として以来800年の間、国技相撲道の普及発展に尽力して参りました。
弘治年間(1555年~)当時角力と称し、唯一の協議として人気のあった相撲は、単に力くらべとなり相撲本来の礼儀礼節を尊び古例旧式にならう相撲道から大きく離脱の様相に、十三代追風は、土俵上の登場礼式(力士が土俵にあがり行う動作及び型)を定め、神儀であった相撲を国技の「
道 」として確立。時の
正親天皇より永禄元年(1558年)
相撲全般をとり仕切る行司官を、命じられ、
「マカロオ」の団扇を
勅賜。元亀年中(1570年~1572年)
関白二条晴良公より
「一味清風」の四文字が記された団扇を授与された追風は、以降国技相撲道に二派はなく、常に一味(ひとつの派のみ)の作法でもって相撲道を守ることを相撲界はもとより、
吉田司家の家訓として代々伝授してきた。
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私の個人的所感ですが・・・・・・
私は、地元の小学校のPTAの役員をしているのですが、挨拶の出来る校区は、比較的に子供たちの非行もすくないような気がします。
礼節・・・・・・これは、人の社会にとって、一番大切なことでは無いでしょうか・・・
私の大好きな書の中に・・・・・このような一説があります。
それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり。又習学すべき物三つあり、所謂儒、外、内これなり。
(すべての民衆に尊敬すべきものが、三つあり、主、師、親の三徳である。身につけねばならぬ物が三つあり、儒教、仏教以外、仏教の教えもこれにおさまる。とあります・・・・・
主、師、親の三徳・・・・・
主の徳、師の徳、親の徳、現在の日本に、一番掛けた部分ではないでしょうか?
親が、自分の子供の教育には、命がけで責任を持つこと、また気がついた者が見て見ぬぬふりを、せねばもっと良い社会になるのではないでしょうか・・・・・・日本本来の礼儀礼節、一番大切な教育ではないでしょうか?・・・100年後の日本のために・・・・・・。
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