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2008年03月25日

【肥後相撲国技館】






肥後相撲館建設について



1. 肥後相撲館の開館
 
大正二年十月十一日は十三代 追風が没してから三百年の忌辰にあたった。
これより先き善門は、郷土の斯道(しどう)奨励のため相撲常設館の建設のもくろみをもって、
相撲役員等と熟議の上、十三代追風の三百年忌辰の記念事業として常設館の新築を決定した。

熊本市辛島町六番地に熊本相撲の殿堂としての常設館は見事にその偉容をあらわした。
開館式は十月二日行われた。 善門の嫡子長助が、方屋祭、開口、方屋開きを執行した。

善門自らは横綱大刀山と大錦の故実三段構を合わせた。
第六師団長、熊本県知事の赤星典太熊本市の長山田珠一、その他の人々が祝辞をのべた。

それから東西幕内力士の揃踏、横綱太刀山の独手数入りがあり、それから取組が数十番行われた。
つづいて同年同月十一日、木の香も新しい肥後相撲館で、十三代追風の三百年祭が厳かにおこなわれた。
当日祭式の中に式相撲が執行され、善門は一切の故実相撲を司式した。
この日も横綱太刀山の独手数入り、そして古式相撲の取組が十数番あった。




2.太刀山の十人掛懸賞相撲

有名な太刀山の十人掛の懸賞相撲があったのもこの肥後相撲館の大相撲興行中であった。
開館式のその日から興行は始まったが、十日間ぶっ通して取組みが行われたあと、太刀山の十人懸りがあった。
しかし太刀山の強豪は無敵といってよかった。

一体どの位強いか、というところから十人掛の懸賞相撲になった。
太刀山は横綱でも大関でもかまわぬというのを善門の声がかりで関脇以下東西きっての
精鋭十人(東京方、大蛇潟、金の花、小野ヶ崎、御舟潟、大阪方、放駒、千舟川、秀の海、加古川、小染川、男山)
ときまり、太刀山は、余裕しゃくしゃくとして、ただ一度叩きこみしただけで、
あとは片はしからつかんで放り出すといった有様で、強敵十人を総なめにし懸賞金五百円をもらったのであった。
いかにも天下無敵日下開山らしい強豪ぶりであった。




3. 肥後相撲館の解体
 
大正六年五月には十九代 吉田追風の百年祭をいとなんだ他、大相撲の巡業はいつもここで行われ、太刀山、大木戸、鳳、西の海、大錦、栃木山、二代目大錦、宮城山、源氏山、常の花などがこの相撲館で新横綱を張ったのものだ。

それはどれだけ相撲愛好者を熱狂させたかはかりしれなかった。
かねては映画館として熊本市民に親しまれた。
 
当時映画常設館としては電気館、世界館などがあったが相撲館は西洋物の映画を上映するところとして知られていた。
あとでは松竹系統となって松竹の映画監督をしていた熊本出身の牛原虚彦が手がけた映画がよく上映され
熊本市民をよろこばせた。

こうして大相撲と映画館として長く郷土の県市民に親しまれてきた相撲館が、熊本市発展の動力をなす
市電の敷地となるため、解体しなければならなくなったのは惜しいことであった。

昭和三年十一月二十二日から四日間最後の相撲巡業として横綱常ノ花一行がやってきて、
連日熱狂につつまれついにはNHK松内則三が相撲の中継まで行った。
 
この盛況ぶりは当時の九州新聞で報じられた。
そして昭和三年十二月九日解体式があげられた。
相撲館が建設された大正二年から数えて十五年の間の歴史であった。
相撲館の市電敷地となった残り全部は現在辛島公園となって市民の憩いの場所である。







                写真は、初公開の肥後相撲館内部です。









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この記事へのコメント
すばらしい建物です。
たった15年の命って、惜しすぎる。
この建物がもし今も残っていれば、人々の相撲への関心もまた違っていたでしょうね。
いや~、見てみたかった。
Posted by みやもと at 2008年02月17日 22:51
宮本様 !こんばんは。私も、まったく同意見です。
もし、この相撲館がいまでも存在していたならば、おそらく世界遺産になっていたのではないでしょうか・・・・・
私達NPOの目標は、この相撲歴史博物館を、熊本の地に復活させることです。

応援よろしくお願いいたします。

NPO行司
Posted by NPO法人行司NPO法人行司 at 2008年02月17日 23:05
こんばんは~!
相撲に関しては無知なところが多々ありますけど
肥後・・に関して、ご活躍されてることが尊敬です。
相撲歴史博物館の復活、再現がんばってください・・
私もお手伝い出来る事があれば是非・・(*^_^*)
今後もよろしくおねがい致します。☆
Posted by 毘沙倶楽部 at 2008年02月17日 23:32
相撲の生きた歴史ですね。

貴重な記事に感銘をうけました、ありがとうございます。

人は歴史に学ばないと、発展は無いと想っている者です。
Posted by rakuten23 at 2008年03月16日 12:24
現在の横綱制度って熊本城の本丸御殿の九曜【くよう】の間で生まれた話、ご存知でした?実話ですよ!いまでも記録が残ってます。(旧司邸に所蔵分) NPO行司の日々の活動や熊本の相撲文化(行司)と熊本城の歴史を、史実に基ずき正確にお伝えしていきます。現在、司家と日本相撲協会との関係は、諸般の事情により、儀式の中断になっておりますが・・・

上記は転載禁止の文中の枠外だと想うのですが・・・
如何なものでしょうか?ご検討を願いあげます。
聞いたことですが、を文頭に書き込むことで如何なものかと・・・勝手に想ったしだいです
Posted by rakuten23 at 2008年03月16日 12:32
rakuten23様

記事の下に、NPO行司のリンクを付けていただければ、どの記事でも転載OKです。

特に、rakuten23様のようなファンのかたであれば・・・特に転載して頂きたいと思っています。

これからも、よろしくおねがいします。

トモイ
Posted by 行司行司 at 2008年03月16日 12:52
終戦を、とうきょう都内の焼け野原で、迎えた時、5歳でした。
日々、空腹でソバカス少年で、喰うことのみが楽しみで、小学校時代には、納豆うり・新聞少年の経験が、今でも鮮明に瞼に残っております。相撲放送はピーピー鳴るラジオで鏡里・照国・千代の山が活躍していましたね
名寄岩が糖尿病で、近くの大学病院に入院されていて、裏の砂場では子供たちのスーパースター。大きなお腹をたたいたり、させてもらい遊んでくれました。テレビもないので、紙芝居の叔父さんが来るのが、唯一毎日の楽しみだったなつかしき餓鬼のころ。あは!
Posted by rakuten23 at 2008年03月16日 22:40
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