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2008年03月25日

【 大相撲の行司  】

【 大相撲の行司  】



【 行 司  】

今回から行司のことについて、おって記事を追加して行こうと思っています。

伊藤勝治さん(大相撲の立行司、34代木村庄之助) ←記事へリンク

 横綱同士による千秋楽相星決戦の熱気を背に、慣れ親しんだ軍配に別れを告げた。来月、行司の定年である65歳となるため、今場所が仕事納め。座布団の舞う大阪府立体育会館で朝青龍に勝ち名乗りをあげ、最後の大役を果たすと、「両横綱にこんな舞台を用意してもらって本当に幸運です」と感謝した。

 東京都墨田区の両国中学に通いながら、初めて土俵に上がったのは昭和31年夏場所。「当時は朝の6時に取組が始まり、暗い中、両国から蔵前国技館まで走ったのを、きのうのことのように覚えている」。以後、52年間の行司人生は「あっという間だった」と振り返る。

 初土俵は「頭が真っ白になって東も西も正面も分からなくなった」という。新弟子時代は、立行司の庄之助(当時は22代目)といえば雲の上の存在で、話しかけられても「ハイ」と返事するのが精いっぱいだった。

 昨年夏場所にその庄之助の名跡を継いだ。「まさか自分がなるとは思わなかった」。裁くのは常に結びの一番。心を砕いたのは立ち合いだった。「手をつかなかったり、じらしたりといろいろあったが、公平に立たせることが身上だった」という。


 相撲に取り組む姿勢を一変させる一番がある。お客さんもまばらだった幕下時代。4度の取り直しを経て決着し、倒れ込む両力士に「気が済んだだろう」と声を掛けると、返答は「納得できません」。

『その時、勝負にかける力士の心をかいま見た。』

 庄之助を襲名してからは、日付と対戦力士の部分を空白にした進退伺を懐に忍ばせてきた。「差し違えたら出す」と悲壮な決意を込めた進退伺は、もはや無用。「これからはゆっくり相撲を見ることにします」。重圧から解放され、37代式守伊之助に最高位を譲る。(奥山次郎)


 昭和18年、東京都江戸川区生まれ。両国中学在学中の31年夏場所に初土俵を踏む。55年に十両格、平成4年に幕内格、17年に三役格に昇進した。18年に式守伊之助を襲名し、立行司となる。

三役格4場所での立行司昇進は史上最短。昨年夏場所に木村庄之助となった。現在64歳。

産経ニューススポーツより参照←クリックで産経ニュースへ






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Posted by セレスピード熊本 at 10:43│Comments(2)【相撲行司 起源】
この記事へのコメント
立行司木村庄之助さま。

伝統ある相撲界において、行司の役割にはその姿・形はもとより、華麗な立ち居振る舞いにおいて、文化とスポーツの最高の芸術ではないでしょうか。
古式にのっとりあの衣装の「美」は、世界に誇るものと自負して宜しいかと考えます。

52年間の行司人生には、ほとほと頭が下がる想いがしてなりません。
今後は当然後輩の育成・監督に携わるものと存じますが、ますますお元気にてお励みくだされることを切にお祈りもうしあげます。

永いあいだ本当におつかれさまでした。
ありがとうございました。
Posted by rakuten23 at 2008年03月28日 13:13
rakuten23様

ほんとに、想像も付かないほどのプレッシャーだったでしょうね・・・・

コメントありがとうございました。
Posted by 行司行司 at 2008年03月28日 16:29
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