2008年02月14日
熊本城と相撲(その1)

【熊本城と相撲】
最近、大相撲界では、度々の不祥事で有史以来の大激震が起こっております。
相撲の品格、横綱の品格が改めて問われております。
そんな中で、私たちNPO法人行司では、日本の数ある、お城の中で熊本城ほど
相撲に関わった、お城は無いという史実を、吉田司家資料に基ずき正確な情報
を発信して参ります。
実は、横綱は、現再建中の熊本城本丸御殿で誕生したのです。
記録には、天明九年(西暦1789年)一月、肥後藩第八代藩主
細川斎滋(なりしげ)公に、吉田司家十九世 追風(吉田 善左衛門)が呼ばれ、
兼ねてから温めていた、横綱制度を発案したことを上申(じょうしん)し、その許可を得、同年3月細川藩の参勤交代に随行し、寛政元年4月 江戸に到着し同年十一月 大相撲本場所の回向院(えこういん)の土俵上で、谷風梶之助及び小野川喜三郎に、横綱を免許したのです。

写真は、熊本城本丸で横綱を誕生させた御奉公記録です。(十九世 吉田追風の日記)
■天明3年(西暦1783年)から寛政11年(西暦1799年)までの日記より

肥後細川藩主 細川斎滋が承認した。十九世 追風が考案した。横綱の作り方の絵図
■天明8年(西暦1788年)9月19日 絵図作成
吉田司家に関する記事の転載及び写真の無断使用はしないでください。NPO法人行司
Posted by セレスピード熊本 at 14:52│Comments(0)
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