2008年02月05日
朝青龍がただ一人

大相撲春場所8日目(16日・大阪府立体育会館)--朝青龍がただ一人、無傷の勝ち越し。
若ノ鵬を問題にせず、初顔相手の連勝を28とした。白鵬は時天空に手こずったが、つり出して7勝。千代大海は突っ張りに威力がなく、安馬に押し出されて2敗。魁皇は琴光喜に押し勝って6勝。琴光喜と、豊ノ島に押し出された琴欧洲は連敗が止まらず、早くも6敗。
大相撲春場所(大阪府立体育会館)は8日目の16日、朝青龍は初挑戦の若ノ鵬を早いつり寄りから退け8連勝。平幕の全勝が消えて早くも単独首位に立った。白鵬は時天空を慎重な攻めからつり出して依然1敗。千代大海が敗れてほかに1敗は高見盛と初黒星を喫した栃煌山、豊真将。大関対決は魁皇が勝ち、琴光喜は3連敗。琴欧洲も元気なく敗れ佐渡ケ嶽部屋の両大関はそろって苦しい6敗目。
◇朝青龍、はやくも春場所の主役に…安定感増し
みなぎる闘志に余裕あふれる取り口。朝青龍が、ここ一番の集中力を初顔の若手相手に発揮した。勝ち越しを前に並走してきた平幕の栃煌山、豊真将があっさり敗れたの対し、綱の力を証明してただ一人全勝で折り返し、はやくも春場所の主役に躍り出た。
相手は幕内最年少の19歳ながら、順調に番付を上げてきた若ノ鵬。「けいこでもやったことがない」(若ノ鵬)という初対戦の相手だが、取組前にすでに勝負の行方は見えていた。
勝負前の仕切り。「手つきを見た時、脇の甘さがわかった」と横綱。立ち合いで、張って出るまでもなく、素早く両腕を差し込み双差しの万全の形。苦し紛れに暴れる相手をつり上げ土俵際まで運ぶと、最後は伸び切った胸を一突き。「脇を閉めていったけど、その後は分からない」とお手上げの若ノ鵬に全く相撲を取らせず、初顔への連勝も28まで伸びた。
中盤に来て、ややてこずっている白鵬に比べ、安定感が増してきた朝青龍。北の湖理事長は「こういう展開では、1敗(の力士が)がいかに付いていくか」と、先を行く者の優位性を説く。昨年夏場所以来5場所ぶりとなる中日での給金直しに、「気持ちいいよね」と目尻を下げた。【和田崇】
ヤフーニュースより
2008年02月05日
朝青龍、悪役登りつめた…人気の象徴“のぼり”なく
朝青龍、悪役登りつめた…人気の象徴“のぼり”なく
2008年3月11日(火)17:44
朝青龍は大阪のファンにも嫌われている? 相撲会場の入り口にズラリと立てられている力士の四股名や行司の名前などを染め抜いた色あでやかな力士幟(のぼり)は相撲情緒をかき立て、なんともいいものだ。
この力士幟、ファンや後援者たちが「今場所も頑張れ」と激励代わりに贈るもので、言ってみれば人気の象徴。この春場所の会場前にも、白鵬をはじめ、幕内上位力士の四股名の幟が春風にけんを競っているが、どういうワケか、その中に朝青龍の四股名の幟が見当たらない。
師匠の高砂親方(元大関朝潮)は「どうなっているのか、オレは知らない」と相変わらず他人ごとのような顔をしていたが、同じ部屋の朝赤龍のものはあるので、関係者の手配ミスということはない。幟を贈って激励するスポンサーがつかなかったのだ。
数々のトラブルを引き起こし、自らまいた種とはいえ、この朝青龍のスポンサー離れ、力士幟に限ったことではない。前日、地方場所の初日では史上最多の93本の懸賞が付くなど、今場所は地方場所初の1000本の大台に到達する勢いだが、白鵬が台頭してくるまでの懸賞王、朝青龍は今ひとつ。2日目も白鵬に4本差をつけられるなど、先場所に続いて今場所もこちらの勝負では大苦戦している。
もっとも、こんなワンサイドで非情な相撲では、ファンが逃げだすのも当たり前。前日の稀勢の里戦は一直線。この日も新鋭の鶴竜を強烈な右の張り手から左四つ。すぐさま上手投げで崩して土俵際まで運び、「初顔なので、何をやるかわからない。最後まで力は抜けないよ」と砂かぶりの奥まで思いきり吹っ飛ばし、女性ファンの悲鳴が場内にこだました。
先場所は2日目につまずいたが、今場所はその鬼門も難なく通過。朝青龍はまだまだ嫌われそうだ。
2008年3月11日(火)17:44
朝青龍は大阪のファンにも嫌われている? 相撲会場の入り口にズラリと立てられている力士の四股名や行司の名前などを染め抜いた色あでやかな力士幟(のぼり)は相撲情緒をかき立て、なんともいいものだ。
この力士幟、ファンや後援者たちが「今場所も頑張れ」と激励代わりに贈るもので、言ってみれば人気の象徴。この春場所の会場前にも、白鵬をはじめ、幕内上位力士の四股名の幟が春風にけんを競っているが、どういうワケか、その中に朝青龍の四股名の幟が見当たらない。
師匠の高砂親方(元大関朝潮)は「どうなっているのか、オレは知らない」と相変わらず他人ごとのような顔をしていたが、同じ部屋の朝赤龍のものはあるので、関係者の手配ミスということはない。幟を贈って激励するスポンサーがつかなかったのだ。

数々のトラブルを引き起こし、自らまいた種とはいえ、この朝青龍のスポンサー離れ、力士幟に限ったことではない。前日、地方場所の初日では史上最多の93本の懸賞が付くなど、今場所は地方場所初の1000本の大台に到達する勢いだが、白鵬が台頭してくるまでの懸賞王、朝青龍は今ひとつ。2日目も白鵬に4本差をつけられるなど、先場所に続いて今場所もこちらの勝負では大苦戦している。
もっとも、こんなワンサイドで非情な相撲では、ファンが逃げだすのも当たり前。前日の稀勢の里戦は一直線。この日も新鋭の鶴竜を強烈な右の張り手から左四つ。すぐさま上手投げで崩して土俵際まで運び、「初顔なので、何をやるかわからない。最後まで力は抜けないよ」と砂かぶりの奥まで思いきり吹っ飛ばし、女性ファンの悲鳴が場内にこだました。
先場所は2日目につまずいたが、今場所はその鬼門も難なく通過。朝青龍はまだまだ嫌われそうだ。
2008年02月05日
日本経済に大打撃を与える

日本経済に大打撃を与える自民・民主の戦略、理念なき抗争=田原総一朗(ジャーナリスト)
2008年4月3日 リベラルタイム
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080403-01-1201.html
日本銀行総裁後任人事で、武藤敏郎副総裁の昇格、田波耕治国際協力銀行総裁の就任を拒否された自民党が困ったのは、民主党の交渉相手が最後まで見つからなかったことだ。いや、交渉相手がいないことすら知らなかったといっていいだろう。
「いったい、誰と日銀総裁人事案を話し合えばいいのかがまったく見えなかった」というのが自民党幹部の感想である。大島理森(自民党国会対策委員長)さんは、山岡賢次(民主党国会対策委員長)さんと懸命に交渉するそぶりを見せたが、山岡さんには何の決定権もなかった。以前は、山岡さんが小沢一郎民主党代表に相談して決めていたが、いまでは小沢さんに決定権がなくなってしまった。民主党の反小沢派が「日銀次期総裁は武藤さん等の財務省事務次官OBでは反対」ということだけで一致していたからである。参議院では民主党中心の野党が多数派であるから、武藤氏昇格でいいという正当な論理があっても、与党がその人事を押し通せないことは、はっきりしている。にもかかわらず、自民党を中心の与党は、何の戦略もなく、政府案を提示した。そして、素人目にも明らかなように、武藤、田波人事案は不同意となった。これが政治というもので、人事案が正当か否かという問題ではないということを自民党は忘れてしまっているようだ。まるで、好きなように校庭を走り回るだだっ子の論理ではないか。
恐らくこれは今後も永田町で繰り広げられるに違いない。道路特定財源制度改革関連三法案、揮発油税の暫定税率維持を含む租税特別措置法改正案を民主党はまとめない方向に持っていくだろう。それ以外に民主党は何の戦略も持っていないからである。
民主党は常に「ノー、ノー」といい続けて結論を出さない。一方で、世論の動向には敏感になるだろう。
当初の日銀総裁人事案を、正当な論拠もなく、否定したにもかかわらず、世論は民主党に対してさほど批判的ではなかった。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞は「武藤総裁でいい」といった記事を書いていたにもかかわらず、武藤案が不同意になると、矛先は福田(康夫総理)さんに向かい、福田批判を始めた。「我々は武藤案を肯定したのに民主党はおかしい」といった記事を新聞が掲載すれば、状況は変わったかもしれない。
執筆時点の感触では民主党は世論は意外に甘いということで、まともに審議をせずに、年度末(三月末)まで国会を引っ張る。当然、法案審議は四月にずれ込むから、ガソリンは一度は一・二十五円下がる。そのあと、与党は租税特別措置法改正案を衆議院で再可決するだろう。サブプライム問題によって、世界経済、日本経済は大混乱しているが、もうひとつそれに拍車をかける大問題がある。オフショア市場の利子非課税措置法が三月末に期限切れを迎えるのだ。この結果は、本誌の発行時点では明らかだが、そうなっていれば、日本の金融、経済はさらに大混乱となっているだろう。
自民党、民主党の戦略、理念なき対立が続けば、さらに日本経済に大打撃を与えるといっておく。
リベラルタイム5月号「this Month!」
個人の意見ですが・・・・・
政治の停滞が、一番良くないと思います。
日本も熊本も今、不景気・物価高の波に襲われています。
リーダーの指導力が、今問われています・・・・・・
早期の総選挙を望みます。
その方が、民意が反映されるのではないでしょうか?
2008年02月05日
横綱不知火光右衛門
横綱不知火光右衛門は、文政8年(1825)5月、合志郡陣内村下町(現大津町下町)の原野慶助の二男に生まれました。本名を原野峰松といい、草相撲の大関で近隣に名をとどろかせていた祖父儀右衛門の血統を受けたのか、優れた体力と力とをもって草相撲でその怪力と妙手、早わざは近隣におよぶものがなかったと言います。
村の郷士坂本十郎左衛門からさそわれて、大阪に出て郷土の先輩である湊(第八代横綱不知火諾右衛門)の弟子となって修行し、嘉永2年(1849)江戸にのぼり、殿峰五郎の名で同3年11月幕下に付け出されています。
安政元年(1854)十両、同3年11月西前頭7枚目に入幕し、細川藩のお抱え力士となり、同4年1月不知火光右衛門と改名しています。以後、順調に勝ち進み、同7年2月小結で8勝1引き分け1休の成績で優勝、文久2年(1862)2月大関に昇進、同3年11月吉田司家から11人目の横綱免許を受けました。時に39歳のことでした。
176センチメートル、124キログラム、取り口はきびきびとして名人級、右を指したら盤石と言われていました。またその土俵入りは、先代(第八代横綱不知火諾右衛門)が創始した不知火型をさらに華麗にしたもので巧妙をきわめ、「白鶴の翼を張れるがごとし」の形容で華麗さはかって見ないところとされ、また大変な美男子でもあったので、その錦絵は飛ぶように売れたと言います。
その後、6年間12場所在位し、元治元年(1864)4月と10月に連続して優勝を遂げています。好敵手には、雲龍・鬼面山・陣幕(いずれも横綱を張った力士)がいました。明治2年(1869)11月場所限りで引退、幕内の在位は14年、27場所で、最高位は大関(横綱)、勝率は、7割7分3厘。引退後は、先代同様大阪に帰って頭取(年寄り)2代目不知火諾右衛門と名乗り、不知火部屋を創立して年寄りとして大阪相撲に貢献していましたが、同12年2月24日55歳で没しました。
墓は、大阪市天王寺区下寺町の遊行寺(円成院)と生地の大津町下町に建てられています。
2008年02月05日
“初土俵”貴乃花親方、朝青龍の立ち合いに“黒判定”

審判長として初めて結びの一番を裁いた貴乃花親方(元横綱貴乃花)のコメントは初々しい。「お客さんが多くて、照明も明るく、緊張しました」。しかし白鵬と朝青龍に独走を許す他力士への注文は痛烈だった。
両横綱が頻繁に繰り出す立ち合いの張り差しは「1つの技ですからね」と容認。しかし「そこにつけ込む相手がいれば面白い。横綱が猪突(ちょとつ)猛進では困るが、猪突猛進の若手がいてもいい」。奇襲に怯むばかりの対戦相手には手厳しかった。
話題は手がついているかどうかが微妙な朝青龍の立ち合いに及んだ。「注意する予定はないが必要であれば放駒審判部長(元大関魁傑)がするでしょう」としつつも、「修正していくんじゃないですか」と事実上の“黒判定”を下した。
理事改選に伴う2月の職務分担で役員待遇となり、35歳という異例の若さで審判部副部長の重職を任された。横綱らしからぬ立ち合いが横行し、いきのいい若手が出てこない現状への苦言は、角界の将来を担うことを期待される貴乃花親方の発言だけに重い。
時津風事件や朝青龍の品格問題がくすぶり続け土俵外の改革も急務だ。「先輩を見習って虚心坦懐(たんかい)に仕事を吸収したい」。就任時の抱負は謙虚だったが、優勝22回の大横綱でもあった貴乃花親方には、角界をいい方向へ導く大胆な行動も求められている。(奥山次郎)
【ヤフーニュース参照】