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2008年03月25日

【高錦 昭応】

【高錦 昭応】



【高錦 昭応(あきまさ)】



土 俵 歴


昭和9年2月12日、飽託郡川上村(現飽託郡北部町)に生れました。

本名は荒木昭応。
 
昭和23年2月27日、第39代横綱前田山が熊本市北千反畑町の吉田司家で横綱免許を授与されたとき、元陸軍大佐の北川氏の肝煎りで、前田山が2枚鑑札で経営する高砂部屋に入門、荒木山と名乗り昭和24年5月場所初土俵を踏みます。

ときに体重30貫(112.5㌔)、丸々と太った怪重で、
前田山に“将来東富士に次ぐ大物になる“と太鼓判を押されたといいます。
同年9月序ノ口。30年5月幕下5枚目のとき高錦と改めました。 

昭和31年3月場所は東十両22枚目に進み、12勝3敗の好成績をあげて十両優勝をとげ、好調のスタートを切りました。

新十両で十両優勝というのは極めて稀な例で高錦の誇りの一つです

次の2場所とも、10勝5敗の好成績をあげ十両はわずか3場所で突破し、昭和32年1月西前頭20枚目に入幕しました。

 入幕後勝ち越しを続け、昭和32年9月には西11枚目まで上がりましたが、
その翌場所は盲腸炎のやめ全休、昭和33年7月場所まで9場所幕内をつとめ、同年9月十両に落ちました。

 十両に5場所いて、昭和34年7月再入幕したが1場所で十両に落ちました。

以後十両を23場所つとめ、この昭和36年3月場所は西13枚目で12勝3敗の好成績をおさめ、
2度目の十両優勝をとげましたが、不運にも再々入幕は果せませんでした。

昭和38年7月幕下に落ち、幕下に3場所いて昭和38年11月場所を最後に廃業しました。

 幕内の在位は10場所で、最高位は前頭11枚目。

全盛時代身長1㍍68、体重152㌔、超アンコ型で、

その巨腹は幕内、十両を通じ圧倒しており、「大もの」のムードがありました。

上背はなかったが、重量を生かし、右を差しての寄りが得意で、

当時、島錦、宮錦とともに「高砂の三錦」といわれていました。




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Posted by セレスピード熊本 at 15:07│Comments(2)【熊本出身の力士】
この記事へのコメント
こんばんは。行司さんは、かすみそうさんのお近くらしいですね。我が家は両親とも相撲が好きで、場所が始まるといつも見ています。
Posted by 香り香り at 2008年03月25日 20:36
香り様

私の実家が、かすみそうさんの前のお店です。

トモイ電気という所です。

今私は、熊本市内に住んでいます。

これからも、よろしくお願いします。

塘居 輝也
Posted by 行司行司 at 2008年03月25日 23:46
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