2008年02月22日
大空円右衛門

大空円右衛門
土 俵 歴
出身地は不明。
出家の出身で、のち僧籍から転向して竹島甚四郎の門人となり、姫路酒井藩のお抱え力士となりました。
寛延年中(一七四八年~一七五〇年)吉田司家第十七代善左衛門追風から故実門人を許されています。
宝暦六年(一七五六)五月、小結付け出しで、初土俵を踏み、同八年に江戸入りし、同年三月東幕下三枚目(幕下の十枚目までは今の十両、以下同じ。)に付け出されました。
同八年十月、東前頭四枚目に入幕したが、次の場所幕下三枚目に落ち、十二年三月、東前頭四枚目に再入幕した。三場所幕内にいて、明和元年(一七六四年)十月再び幕下三枚目に落ち、翌年三月と五年九月の二場所幕下に在位し、同六年三月引退しました。
江戸相撲の幕内の在位は四場所で、最高位は前頭二枚目。
宝暦十一年五月、大阪場所で同じ出家からの転向者大童子峰右衛門と対戦、大空の腰くだけで大童子の体力に凱歌があがったが、当時評判の好取組であったという事です。
子明山人は、相撲今昔物語で、「大空は上手なれども元来美男にて女難多く、この相撲腰よりくだけたり」と書いています。
大空の子孫の竹村さんは・・・・・「錦絵から抜け出したようないい男だったときいている。」といっていた。
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Posted by セレスピード熊本 at 17:08│Comments(0)
│【熊本出身の力士】
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