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2008年02月23日
荒滝五太夫

出身地
出身地については豊後(大分)という説もありますが、延享年中(一七四四年~一七四七年)吉田司家第十七代善左衛門追風から故実門人を許されたときの証状には「肥後国産」となっていること、
芦北郡津奈木町赤碕の日羅将軍神社の下には墓があり、さらに五代目の子孫という同町の佐々木氏方には超大型の位牌が安置されています。
佐々木氏夫人の「私が聞いた五太夫の話」によると、七歳か八歳の頃、石垣を築いている大人四、五人が一つの石をもてあましているのを一人で運んで並べてしまい、ほうびにもらった黒砂糖の四斗樽を軽々と背にくくりつけて帰ったという怪力ぶりの話も伝わっています。
以上のような点から考えて、出身地は現芦北郡津奈木町赤碕とみてよいでしょう。
竹島甚四郎の弟子で、身長は六尺五寸(194m)もあったといわれています。
姫路酒井藩のお抱え力士でした。
宝暦十年(一七六〇)十月荒滝森右衛門と名乗って幕下東二枚目に登場し、翌十一年十月入幕、荒滝五太夫と改め、一躍東関脇となりました。
地位及び成績
入幕の場所は四勝四休で土つかず、翌十二年三月場所は東大関に進み、五勝三休で再び土つかずで大関の貫禄を示し
幕内最優秀成績。
翌十三年四月場所は東に大、西に春日山という一時的飛び入りのいわゆる看板大関がおかれたため東関脇に下げられたが、
六勝一引き分け一休で前場所に引き続き土つかずで幕内最優秀成績。
この二場所は、今日でいえば幕内優勝の掲額にあたります。
明治四年三月は東小結で、場所後に引退しました。
幕内の在位は約十年で十四場所、最高位は大関で、勝率は六割一分五厘(大関だけなら十割の負け知らず)という実力大関でした。
安永二年(一七七三)正月二十五日没
荒滝五太夫の遺言
『おれの死後に建てられた墓石が西の方に傾いたら、西方より跡を継ぐ名横綱が出る』(大意)という言葉が伝えられるが、荒滝が大関を張った、ちょうど二百年後に赤崎の西の方 牛深市深海町出身の栃光関が現れみごとに大関になった。
逸話
現役の時、御花にもらった四斗樽の酒樽を片手で持ち上げ悠々と飲み干した。
相撲をしようとしたが、まわしが無かったので青竹をしごいて代用した。
お母さんが、庭で風呂に入って居た所に夕立がきて、五太夫関に助けを求めたところ風呂桶ごと抱えて家の中にいれた。
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