2008年02月29日
高根山政右衛門 黒雲竜五郎


高根山政右衛門
土 俵 歴
玉名郡高瀬町(現玉名市高瀬)の出身。
初め京都に出て頭取若駒宗吉のところに入門します。
その後、江戸へ下って浦風林右衛門の浦風部屋に入門し、郷土の先輩代八代横綱不知火諾右衛門に稽古をつけてもらいました。
天保8年(1837)1月
獷(とな)角(がえし)重蔵と名乗って幕下の張出しに付け出され、同年九月十七(とな)返(がえし)と、同年十一年一月真鶴(まなづる)政吉と改め、同十二年十一月場所は八戦全勝の好成績をあげました。
同十三年二月場所は西幕下二枚目に進み高根山と改め、五勝二敗一預かり二休の成績。
同年十月前頭西六枚目に入幕し、十四年十月には雲生(くもう)嶽(だけ)と名を改めて、実に改名の多い力士でした。
幕内の後半には休場が多く不振だったそうです。そして嘉永三年(1850)十一月引退しました。
幕内の在位は約十年、十四場所で最高位は前頭二枚目という成績でした。
前述のとおり横綱不知火諾右衛門の土俵入りには太刀持ちをつとめていました。
黒雲竜五郎
土 俵 歴
玉名郡高瀬町(現玉名市高瀬)の出身。本名は水上と言ったそうです。
初め大阪に出て頭取湊由良右衛門の弟子となり、江戸へ下って浦風林右衛門に入り、梅ヶ枝八十郎と名乗って天保八年(1837)一月幕下西十八枚目に付け出されました。
同年十一月黒雲竜五郎と改め、出雲国松平藩のお抱え力士となり、日野の姓を賜ったといいます。
同十三年二月場所は幕下西三枚目に進み四勝二敗四休の成績。
翌十月場所は同位置で六勝二敗二休の好成績をあげ、高根山に一場所おくれて同十四年一月前頭西七枚目に入幕しました。
弘化四年(1847)十一月引退。
幕内の在位は約五年、九場所で最高位は前頭三枚目という成績でした。
地味な存在で、前述のとおり横綱不知火諾右衛門の土俵入りには露払いをつとめました。
明治四年十月六日没。高瀬町の妙法寺に葬られ法号を「梅枝院黒雲濃錦日里居士」と言います。
史 跡
墓は玉名市の妙法寺にあり、碑面には次のとおり刻されています。
濃錦里八十郎之墓
梅ヶ枝、黒雲のほかに不知火諾右衛門の前名です。
逸 話
14歳のとき、長洲の宮相撲に加わったが相手になる者はいなかったといいます。
至って美男の力士であったので凄い人気を集め、梅ヶ枝の簪(かんざし)をもたないものは恥ずかしくて人中にはでられないとまでいわれたという。
Posted by セレスピード熊本 at 15:09│Comments(0)
│【熊本出身の力士】
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